わたしが日記を書くように。

過保護という言葉に、ひっかかるものがある。


今日聞いた話では、

わたしの会社で転勤になる子がいるのだが、その子(我が息子)に対してお母さんが送ったメールの内容が、

破壊力がズーーんと響く感じで、

関係ないのに思わずオロオロしてしまった。


内容としては、

息子の転勤がそもそも栄転なのか?まずはその点を考えると涙が出てくる…

とわたしの知らない母親が、いきなりこちらをせめたてる。


母である彼女は社内のポジショニングを心配しているのではなく、

彼(息子)が自分のテリトリーから出ていくこと、

それを心配している。


私自身は親から離れたい一心、

というか、これ以上一緒にいると…

切迫詰まった気持ちで飛び出した本人としてはバツが悪い。


そして、今では私は親になってしまったから。

親にとって子供はいつまでも子供というのは、よく聞くけど、


いつまでも子供としていてほしい。

いつまでも私たちと子供たちは同じ家族、

テリトリー。


ってのは違うんじゃないかなと思いつつも、

はっきりとテリトリーを作ろうとし始めている自分に気がついた。


行事というものは、その極端な例かも。



春の溜息

3月1日。
今日は都合がにっちもさっちもいかず、
午前中に免許更新へ。
自分の前に並んだ、いまかいまかと視力検査を担当していたおじさんが、すごく嫌だった。

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と言いながら、

3月2日になってしまった。

嫌なことがあったと思ったら、まさか終電帰りに、よりによって人身事故に遭遇し、
帰宅は3時を過ぎていた。

以上、昨日の補足です。

桜の季節過ぎたら、遠くの町にいきたい

私は春について、かなり意識している。

とんでもない片思いを、春に対してここ数年繰り広げている。


一昨年といえば、

ただただ散り行く桜を眺めているつもりが、

あまりにも盛り上がってしまい(一人きりで)

散り行く桜の花弁を拾い、全てお財布に入れて帰り、途方に暮れる。


昨年は個人的に忙しく、

ただ春を意識するあまり、終電間際に全く知らないお花見会に2週間連続で参加する(@鶴舞公園)というハードな旅路にでたのでした。


いろんな人がいて、いろんな事情があって、

でもとりあえず同じテーマで集まる事が、

良いのか悪いのかわからないけど、

私はそういう理由がほしい。

海賊の末裔

いままで満足に次ぐ満足の連続で生きてきたと、私は思っている。


ただ、当たり。


ラッキーーー!


ただ、自分以外の生物に対し気になることが多すぎるし。

なぜ自分はこんなに周りが気になるのか…


まったくわからないまま今日を迎えている。


いま私はサラリーマンという職種における、ザ・管理職に位置している。


なのに、上も下も管理できていない。


そもそも、自分自身が管理できていないし、

今日もうちょっと頑張れば出来るようなことを、明後日の方向に先延ばしている。


それはそれで



また先伸ばします!